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【ドキュメント】古生物学者、犯罪捜査に革命を起こす

2019/9/23毛髪の「限界」に挑む髪が普通に生えている幸運な人の頭部からは、1日に50本から100本もの毛髪が抜け落ちる。髪の毛は丈夫で、何年も、ときには何世紀もの間、雨や熱、風の影響に耐えることができる。しかし、犯罪捜査官をはじめ、毛髪の持ち主を特定しようとする人にとって厄介なのは、「毛根」が付いていない頭髪が全く役に立たないことだ。しかも、毛根が残っている抜け毛は極めて少ない。こうした限界が露呈するのは、法廷で証言台に立つ法医学者が陪審員に対して、セーターに残った髪の毛から十分なDNAが採取できない理由を説明するときや、死亡した親族のヘアブラシをたまたま見つけたアマチュア歴史家が、自分の一族の家系図を作ろうとするときだ。毛根がなければ、家系図サイトで参照するためのDNAプロファイルを作成できる見込みはなかった──これまでは。

(James Tensuan/The New York Times)古生物学者が起こした「奇跡」毛根のない毛髪からDNAを採取し、その塩基配列を決定する技術の開発に成功したのは、カリフォルニア大学サンタクルーズ校の古生物学者エド・グリーンだ。ネアンデルタール人のゲノムに関する研究で知られるグリーンは、過去18カ月にわたって、複数の法執行機関にひそかに協力している。この技術を用いて、迷宮入りしている殺人事件の容疑者と被害者の頭髪から遺伝子プロファイルを抽出するためだ。「できるはずのないことを、彼はやってのけました」と、カリフォルニア州サン・バーナーディーノ郡保安官局のピート・ヘッドリーは言う。ヘッドリーは、グリーンの技術によって解決したニューハンプシャー州の事件の捜査に関わっていた。遺伝子サービス会社「フル・ゲノムス」の最高経営責任者ジャスティン・ローは、グリーンの技術をDNA捜査に革命をもたらす「ゲームチェンジャー」と呼ぶ。「犯罪者は、手袋をしたり、血を拭いたりすることは考えます」と、ローは言う。「しかし、頭髪を剃ろうとまで考える犯罪者はあまりいません」

エド・グリーン博士(James Tensuan/The New York Times)「迷宮入り事件」の解決に貢献カリフォルニア大学サンタクルーズ校のキャンパスにあるグリーンの研究室に集められた毛髪の大半は、法執行機関によって持ち込まれたものだ。ときには容器の中に、親指の爪より短い巻き毛が1本だけということもある。スパゲッティのようにもつれた毛髪の塊が入っていることもある。数十年にわたって逮捕を免れてきた連続殺人犯の毛髪もあるし、殺人被害者のものもある。毛髪から抽出されたDNAは棚に保管される。同じ部屋にある冷蔵庫の中には、マンモスの骨やドードー鳥、絶滅したアメリカンチーターなどの貴重な標本が収められている。ニューハンプシャー州の事件を除き、グリーンは関与している捜査の詳細を話すことはできない。また、協力している相手を明かすこともできない。明らかにできるのは、FBIロサンゼルス支局に勤める弁護士のスティーブ・クレイマーと、遺伝子系図学者のバーバラ・レイベンターが連絡要員になっていることだ。2018年4月、クレイマーとレイベンターは、1974年から1986年の間にカリフォルニア州で強姦と殺人を続けた連続殺人犯「ゴールデン・ステート・キラー」の事件を解決した。糸口になったのは、親戚探索用の遺伝子データベースで容疑者の親族を発見したことだった。この事件をきっかけに、2人は犯罪を解決するための新しいアプローチを打ち立てることになる(FBIはクレイマーとグリーンとの協力関係についてのコメントを拒んだ)。

(Altayb/Getty Images)新聞記事が導いた「偶然の出会い」レイベンターとグリーンの出会いは2017年にさかのぼる。当時、レイベンターはニューハンプシャー州当局と協力して、女性1人と少女3人の遺体の身元を特定しようとしていた。州立公園で発見された樽の中に放置されていた4人の遺体は、数十年間も日光と雨水にさらされて、骨のDNAさえも劣化していた。そんなとき、新聞でたまたま見つけた情報にレイベンターは興奮を覚えた。それは、サンフランシスコ在住のカップルが、家を改築中に地中から小さな棺を発見したという記事だった。棺の中には、1900年代前半に死亡したとみられる子供の遺体が納められていた。ボランティアの人々によって、この子供の血縁者と思われる家族が特定された。そして、遺体の「毛髪」を用いてこの家族との親族関係を確認したのが、グリーンだったのだ。「偶然、解決策が飛び込んできたようなものです」と、レイベンターは振り返る。

バーバラ・レイベンター(Charles Sykes/Invision/AP/アフロ)DNA鑑定の「常識」を覆すグリーンが手に取った毛髪を、彼のチームが漂白剤で洗う。ここからが新しい手法の出番だ。従来の法医学では、毛根のない古い毛髪を鑑定するときに、母親から子供に伝わるミトコンドリアDNAを採取する。しかし、それでわかるのは、ある毛髪の持ち主が他の毛髪の持ち主と血縁があるかどうかという程度だ。個人を特定するためには核DNAが必要になる。従来の手法でも、髪に毛根が残っていれば核DNAを取り出すことは可能だが、抜け落ちてから1週間以上たつと、それも難しくなる。「なぜなら、核DNAを採取するためには、髪が成長段階にある必要があると考えられてきたからです」と、法医学コンサルタント兼ラボ・ディレクターのスザンナ・ライアンは言う。しかし、過去の研究を通じて、グリーンはそれが必ずしも真実ではないことを知っていた。

(James Tensuan/The New York Times)進化人類学のキーパーソングリーンは2005年にドイツのライプツィヒにあるマックス・プランク研究所のチームに参加し、化石化した骨から抽出されたDNAを読み取る高度な遺伝子配列決定技術を開発した。2010年には、3万8000年前の骨の破片から、ネアンデルタール人のゲノムの塩基配列を特定する研究に関わっている。スタンフォード大学の遺伝学者カルロス・ブスタマンテに言わせれば、最小限の材料から最大限の情報を抽出する一連の技術を生み出したのは、ほかならぬグリーンだ。グリーンが開発した手法により、人間の進化の歴史を追う科学者のスキルは各段に向上した。「古代の遺物から得られる有効なゲノム情報など、かつてはゼロでした。それがいまや、ものすごい数の古代ゲノムが取得できます」とブスタマンテは言う。グリーンは毛髪を「興味深い小さな器官」と呼ぶ。しかし、レイベンターが電話をかけてくるまで、毛髪はグリーンの主な研究対象ではなかった。「本当に古い遺物の場合、毛髪を見つけるのは容易ではありません」と、グリーンは言う。「飛ばされてしまいますからね」

(Man_Half-tube/Getty Images)数十年前の被害者の特定に成功毛髪からDNAを抽出するプロセスの微調整を終えるまでには、約1年を要した。研究が正しい方向に向かっているかどうかをテストするために、グリーンは自らの毛髪を使って作成した遺伝子型ファイルを、約100万人分のデータを集めたDNAデータベース「GEDマッチ」にアップロードした。「まさに『エウレカ!』と叫びたくなるような瞬間でした」と、グリーンは言う。彼が毛髪から作成したファイルは、唾液を用いる従来のやり方で作成されたファイルと全く同じ家系にたどり着いたのだ。ニューハンプシャー州の身元不明の被害者の毛髪の分析を終えたグリーンは、レイベンターに必要な情報を提供できたと確信していた。その成果はのちに明らかになる。捜査当局は、数十年間身元不明だった4人の殺人被害者のうち3人の身元を特定し、メリーズ・エリザベス・ハニーチャーチと娘のマリー・エリザベス、サラ・リン・マックウオーターズの遺体であることを発表した。「月に行くロケットを発明した人間が、月面着陸の様子をテレビで見たときは、こんな気持ちだったのでしょうね」とグリーンは言う。この事件の捜査には様々な新技術が投入されている。最終的に、DNAは少女の1人の肝臓から採取された。だが、突破口となったのはグリーンの技術だった、とニューハンプシャー州のジェフリー・ストレルジン司法次官は言う。

(Richard Villalonundefined undefined/Getty Images)急上昇するDNA鑑定の重要性それ以来、グリーンの元には続々と依頼が寄せられている。グリーンの発見は、遺伝子による人物識別技術の重要な局面と時を同じくしていた。以前は、DNAで事件が解決できるのは、犯罪データベースまたは既存の容疑者とDNAが一致した場合のみと考えられていた。しかし、家系図データベースを通じてDNAから個人を特定できる遺伝子系図学の台頭により、捜査機関にとってDNAの価値は急上昇している。もっとも、法執行機関が家系図データベースを使用して犯罪を解決することを多くの民間人が積極的に支持する現状には、不安も付きまとう。遺伝子のプライバシーを研究するメリーランド大学法学部のナタリー・ラム教授は、家系図データベースの大きな可能性を認めてはいるものの、一般市民のDNAを過剰に収集する傾向を助長する危険性もあると語る。技術の信頼性も確実なものではない。毛髪によるDNA鑑定が失敗した場合でも、少なくとも間違った人物を指す恐れはない、とグリーンとブスタマンテは言う。ただ、一致する人物がいないという結果になるだけだ。しかし、成功率に関する大規模な研究はまだ進行中だ。

(Mihajlo Maricic/Getty Images)未解決事件2万件の解明に期待グリーンは最近、科学雑誌に論文を発表した。ひとたび公表されれば、この技術が軽犯罪や企業スパイ、あるいは嫌がらせなどに悪用される可能性があることを認識し、「この力を扱うにはルールが必要だ」と言う。グリーンは、この手法が良いことのために使われてほしいと願っている。最近、防腐処置を施された女性の頭部の鑑定をグリーンに依頼したライアンも、願いは同じだ。ライアンによると、アメリカの未解決事件は20万~25万件に上る。毛髪が証拠として残っている事件がその10%にすぎなくても、2万件の事件で解決の糸口になり得るという。もっとも、この手法がすぐに幅広く採用されるとは、ライアンもグリーンも考えていない。法医学研究室はこうした技術を使うために作られていないし、費用もかさむ。毛髪1本のゲノム配列を決定するだけで、数千ドルだ。しかもそこには、遺伝系図を特定する遺伝学者の人件費は含まれていない。

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