巨人・阿部は誰からも慕われた。恒例の1月のグアム自主トレには多くの後輩を連れていった。坂本勇、長野、大田、小林、岡本…。寝食を共にし、培った技術を惜しみなく伝えた。
外国人選手とも積極的にコミュニケーション。07~10年に在籍したオビスポには「イワオ・トオル」という日本名を名付けたこともあった。助っ人がチームに溶け込めやすい雰囲気を率先して作った。
自分自身には厳しかった。主将としてチームの先頭に立っていた12年。5月8日に宇都宮で行われたDeNA戦だった。3点リードの9回2死。阿部はキャッチャーフライをまさかの落球。これを機に同点に追いつかれ、試合は引き分けに終わった。「きょうは寝れねえな。あした取り返すしかない」と球場を後にした。
帰京すると、東京ドームのロッカーに落球シーンの写真を貼り付けた。「写真を見て試合に臨む。全身の毛穴をキュキュッと引き締めてね」。戒めとして、シーズン最後まではがさなかった。ミスを真っ正面から受け止めた背番号10は、キャリアハイの打率・340、104打点のリーグ2冠に輝く活躍で、チームを3年ぶりの日本一に導いた。
ファンからも愛された球界屈指の名捕手。惜しまれながらも、ユニホームを脱ぐ。
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